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西日暮里駅ホームに、文庫本を扱う自動販売機を発見し、
珍しく思い撮影。






少し前のベストセラーが揃っている感じ?
急いでいてあまり細かくは見てないが、
写真からも村上春樹や自己啓発系ビジネス書、のようなものは見受けられる。

ふと思った。どんなことを考えて設置したのだろう?

正直、ターゲット層がイマイチぼんやりして読み取れない。
ラインナップからは無難な空気が漂っていた気がしたが、
そんな本を買う層はこんなところで本を買うだろうか??
山ノ手線のホームなんぞで本が欲しくなるのは、
何か読んでいないと落ち着かない、
活字中毒の方々くらいなものだと思うのだが。
勿論承知の上で、
そういう人々の眼鏡に共通してかなう作品なんてそうそう見当たらないから、
無難な方向を選んだのかもわからない、のではあるが。

スパイラルカフェでは『文庫本セット』という、
文庫本と飲み物をセットで売る試みがされていた(いる?)が、
そのラインナップはなかなかに魅力的だった。
あんな感じの品揃えなら、ネタ的に試してみたい気持ちも手伝い、
つい買ってしまうかもしれないのに。

もったいない。

ま、まだ実験的段階なんだろうが、
ポップや商品説明なんかもつけてくれると魅力が更に増すのに、

もったいない、

と思った次第です。

しかし、出版不況と言われる中、
売れる仕組みを新たに探ろうという試みは、
利用者の利便性拡大に繋がりそうで歓迎であります。

提案・中公社古典新訳でもとりあえず並べとく、ってのはどうでしょうか?
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こんにちは、エンドレスエイトが終らなかったので絶望し、
どうせ何をしてもまた一からやり直しだろ、と、
八月が終わるまで自分の行動の価値が信じられず潜伏していた僕です。

もちろん嘘です。

そうこうしていたらあらまあ、
もう、いつのまにか秋ですね。
僕がもっとも好きな季節でもあります。
まあどの季節も好きなのですけど。
あの夏の終わり、秋の始まりの風の匂いがとてもセンチメンタリズムをくすぐります。
はじめて呼吸をしたのがこの季節だからでしょうか?とか言ってみたり。

因みに、僕の中で今年の秋は8/27からでした。

さて、秋と言えば、読書の秋。
意味のある長文を書くのも正直、ちとしんどいなと感じているので、
今年度読んだ、面白かった本でも列挙してみようと思います。
ブログで書こう書こう、と思いつつ結局何も書いていない本も多いので、
一言コメントでお茶を濁しつつ、そこらへんも一気に消化してしまいたい。


ウォッチメン
 いきなり漫画?とも思えるがこれは漫画を越えている。
 実際グラフィックノベルという名称で呼ばれ、
 ヒューゴー賞を受賞した唯一の漫画作品。

進化しすぎた脳
記憶力を強くする
 タイトルは俗っぽいがとても面白い。
 脳の可能性の広大さに度肝をぬかれる。
 池谷裕二はオススメ。
 因みにこれは以前にも書いた。
 脳が面白い!

音楽の基礎
 これも以前書いた。音楽の基礎-静寂
 音楽理論書としても、
 なにか新しく頭の中でまとまった気がしたし、
 なにより文章がいい。

映画の見方がわかる本
 町山智浩。面白い話をする適当そうな人、
 というだけではないことがよくわかりました(失礼!・笑)。

罪と罰
 やはりドストエフスキーは好きだな、と。
 なんだかとても良かった。
 素敵だった、とか綺麗だった、とか、
 そういうことを言ってもいいのだけれど、
 よくわかんないけど持っているボキャブラリーを安易に使うと
 感じている良さが全然含まれない気がして、
 「そうじゃねぇんだよ!」って自分でもどかしくなりそうなので、
 読んでみようかな、と思っている人は是非読むべき、と、
 強烈に薦めるに留める。

ソクラテスの弁明・クリトン
 これが紀元前の話だなんて、とてもとても。
 ものすごいことを成し遂げたんだな、と思うと同時に、
 2000年以上かけて我々は人間として
 どれだけの進歩を遂げてきたのだろう、
 と現代をもう一度省みたくもなった。

名画を見る眼
 続・も合わせて読みましたが、もうため息が出ますわ。
 素晴らしい。
 絵画史の大まかな流れも掴め、
 その絵画の個別的な背景もわかる。
 こうやって見ていくと、絵画ってこんなに面白いんだ、
 素晴らしいと思えるんだ、と、
 目から鱗。
 まだまだ知ったかぶりもあるかもしれないが、
 よくわからないけどわかったフリをしていた人、
 わかりたい人には強くオススメします。
 白黒なので、ネットで画像探して照らし合わせること。

社会学入門―人間と社会の未来
 見田宗介はとても面白そうだ、と思った。
 完全にわかったとは全然言えないが、何かは伝わった気がする。
 人生の意義、みたいなものはやはり興味がある。
 越境する知、という社会学のあり方も好きだ。
 真木悠介名義での他の作品も読もうと思えた。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出
ルポ 貧困大国アメリカ
ベーシック・インカム入門
 この順番で三冊読んだが。
 とても厳しい。
 貧困、というのは、まず撲滅すべき人類共通の敵だと感じたし、
 それは普通に日本で生活しているだけでは
 感じられない感覚だったろう。
 少なくとも、弱さにつけこんで儲けるようなことはしたくない、と思った。
 自分の中の正義ぐらいは貫き通したい、と。
 なにか自分にも出来ることはないだろうか?
 そういう気にさせてもらった。
 自分の目でも見ないと、結局何も変わらないのだろうし。

「相対性理論」を楽しむ本
 特殊相対性理論のわかりやすさに驚いた。
 その数式をうまいこと考え出すセンスみたいなものにも驚愕。
 そして一般相対性理論の数式の難しさ。
 しかし圧倒的に惹かれるのはこっちの方だったりもする。
 質量によって空間が歪むなんて、なんてことだ!!って感じ(笑)。

方法序説
 コギト・エルゴ・スム自体はさらっと出てきて、
 そうとう増幅されて届いてるな、という感じがした。
 その言葉のみから単純に受ける印象と、
 デカルトの思想には少し乖離かある気がする。
 科学を志す精神・考え方みたいなものを多く語っており、
 興味深くまた感銘を受ける部分もあった。

計算力を強くする
 単純にゲーム感覚で面白かった。
 忘れたものも結構あるけど、そうやって簡単に計算しよう、とする気持ちと、
 それを導き出す精神みたいなものは頂きました。

何でも見てやろう
 そうとうタフだな、と思った。そして文章が面白い。
 世界中回るならこれぐらいのアクティブさは欲しいところだ。
 じゃなきゃ楽しみも半減だろう。
 って大分ハードル高いか。

無限と連続―現代数学の展望
 現代数学がわかりやすく俯瞰できるようで、とてもタメになった。
 もっともっと勉強したくなる。
 本屋へ行くと知らないことや分からないことが多すぎて、
 もどかしくなってしまう。

一億三千万人のための小説教室
 高橋源一郎、流石。
 小説のように平易な単語を使いながら、
 小説とは違い語りかけるようでいて理解しやすい筋立て。
 引用されている文章も、どれもどれもがとてもいい。
 ケストナーは特に最初の方何度も引用され、
 なんて魅力的な文章を書くんだ、と魅了されてしまった。

奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝
 活発で快活で、聖人というよりも頭のいい面白い女の子、
 という印象にヘレンケラーが変わってしまった一冊。
 上の小説教室での引用で、
 何かがわかる瞬間、という描写がとても瑞々しく、
 興奮さえも伝わるようだったので読んでみたが、
 そういうような記述は殆んどなく、
 工夫と努力をしながらも
 なかなかに楽しい日々を送っていたことがわかった。
 自分も楽しい気分になれた。

ウィトゲンシュタイン入門
 語りえぬものについて人は沈黙せねばならない、の意味がおぼろげながらわかった。
 わかった、というよりも、
 当初の俺の認識とはずれていたこともわかったし、
 今感じていることとも少しずれていて違和感を感じるというのもわかったし、
 だからわかってないこともわかった、とかその程度の理解。
 私が感じていることを他人は理解できない、という感じは少しわかる。
 うまく説明できるほどはわかっていないが、
 普通唯我論で語るところの意味とは少し違っていて、
 しかし、著者の言いたい、なにか主体の存在みたいなものの微妙な違いは、
 少し感じ取れた、ような気だけは、少し、している。

フェルマーの最終定理
 騒がれかたから予想していたのとは全然違った内容で、逆にショック。
 確かにこれ俺には面白いが、普通の人読んで面白いのか?と。
 数学史チックな部分もかなりあるし。
 もうそこらへんは乖離して読めてないが、数学科の人間としてはロマンを感じる。
 そしてやはり四色問題の解法にはそれを感じないのもまた数学者。

はじめての現代数学
 トポロジーとかわかりやすくて面白かった。
 無限と連続と被ってるような内容も多くデジャヴを感じた。
 同型とか群の説明では、
 専門にしながらそういう見方が出来ていず目から鱗がぼろぼろ。

ご冗談でしょう、ファインマンさん
 一言。僕もファインマンさんになりたい。


月10冊ペースぐらいで読んでるが、レビューなども見たりして、
面白い本を読める確率が最近上がってきたような気がしている。
そしてやはり、気分が乗っている時、
出来れば買ったその日のうちに、
一気に読了してしまうのが望ましいなと、最近とても感じる。

結局かなりの長さになってしまったが、読んでくださった方ありがとう。
読んでみようと思えるものがこの中にあり、
それがあなたにとっても面白いものであったなら幸いです。
明朗な心と、清新な感覚と、素直な清らかな情熱を老年まで保っている婦人はたいていは若く見えるものだ。ついでに言うが、これらすべてのものを保つことが、おばあさんになってからも自分の美しさを失わないたった一つの方法である。
(『罪と罰 上』 p.355、ドストエフスキー著、工藤精一郎訳、新潮文庫)

こんな一節が『罪と罰』に混じっていた。
「あれなんかドストエフスキーってこんなん書いたっけ?
こんな俗っぽいことをしかも誰かに語らせるのではなくて地の文で、
彼自身の意見(ととれる)として述べてるの珍しくないか?
しかも断定調(たった一つの方法だなんて!)。」
とちょっと不思議な感じを受けた。

今ならコレで新書の一冊も書いてバカ売れだろうに、
金に困っていた彼も、この時代日本に産まれていたならなぁ・・・なんてね。

Lifeに出ていた東浩紀があまりに面白かったので、
勢いで著作読んでみた。
とりあえず、一番手軽に手に入る『動物化するポストモダン』を。

ああ、そういう見方もあるのか、と興味を惹かれた部分もあったが、
あまり深く染み渡らなかったかなぁ。
確かに視点を整理する役割は果たしてくれたように思うが、
僕の問題意識とあまりリンクしていなかったらしい。
データベース型、という考えは、ああ、確かに、と思う反面、
そこまでオタク文化に浸かっていないし、そうした友達もあまりいないので、
そう言われれば確かに、程度の感じではあった。

しかしその中でも軽い衝撃を受けたのは、原作なんて考え方はもう彼らオタクの中にはない、ということ。
以前友達に
「アニメ化したラノベならラノベで、漫画化したアニメならアニメで。とにかく原作で楽しみたい。」
みたいなことを言ったら、
「最近はメディアミックスで、どれが原作なんて言えない(またはない)ものが多い。」
というような返しをされた。
僕にとってはエヴァの原作(というと少し語弊があるかもしれないが)はアニメで、
漫画は副産物的なもの、とりあえずオリジナルでない、という認識があったし、
例えば彼が薦める「アリソンとリリア」「狼と香辛料」はラノベ、「みなみけ」「バンブーブレード」は漫画だし、
「マクロス」「グレンラガン」「コードギアス」なんかは(古い・・・?)アニメ原作なわけだろ、という意識でしかなかった。
だから原作なんてハッキリとは示せない、なんて理解できなかったのだが、
それはこの本でいうと「古い」タイプの消費行動なのだと。
作品の核は、今は表層に表れたもの、テキストの間にあるのではなくて、
その背後に存在するデータベースにある、という考え方をするらしい。
確かにコミケがあそこまで混雑する理由が僕には分かっていなかった。
所詮創作じゃないか、贋物じゃないか、という意識があったのだろう、

萌え要素についての説明も、ああ、そうだったんだ、納得。
あの、時にゴキブリとさえ言われる触覚とか、一体なんなんだ、と。
そう思っていた僕の疑問に軽く答えてくれました。
ああ、あれ記号か。そして歴史があるのか。

次は『郵便的不安たち』あたりが読みたかったのだけど、
今は売ってないらしい。
昔Amazonのほしい物リストに突っ込んだ段階で買っとくべきだったか。

美しい文章や感受性豊かな文章を書けることが、国語力の証のようになっている。ベタベタした、甘ったるい文章が「美文」と思われるようになっている。
でも、言葉にとって大切なのは、見た目の美しさではありません。なによりも先に「正しさ」なのです。
5/31の夜、日付を跨ぐか跨がないか、といった時分に、私は『16歳の教科書』という本を読んだ。
松戸のブックオフで先日買って来たものだ。
タイトルの上部には「ドラゴン桜公式副読本」、
下部には「【編著】7人の特別講義プロジェクト&モーニング編集部」の文字。

ふむ。

簡単に言えばこの本は、7人の講師が、「なぜ学び、何を学ぶのか」をわかりやすく教えてくれる、という内容の本だ。
その7人の講師は、金田一秀穂、鍵本聡、高濱正伸、大西泰斗、竹内薫、藤原和博、石井裕之。
因みに私はそのうちの5人を、読む前から知っていた。
その点で、私にとっては相当に豪華な面子だった。

上の引用は、その本の中の文章で、講師で言うと金田一秀穂の言葉だ。

確かに、小説には情景描写に多くのページが費やされている。
そして素人の書いたものは、印象”のみ”を前面に押し出したものが多い、と私は思い返す。

なぜか。

人々が表現したいことはきっと感情なのだ。事実関係で無く。
感情を言葉にしないで感情を表現するのは難しい。
そのため、甘ったるい文章が世に氾濫するのだろう。

しかし、感情は言葉にしても伝わらない。
「嬉しい」という文字を見て嬉しくはならないし、
「悲しい」という音を聞いても悲しくはならない。
言葉の中に感情はない。

では逆に、”事実”を書くとどうなるだろう。

小説は”事実”を書く。
その”事実”を読むことで、私に”感情”を生じさせる機会を与える。
それはつまり、”事実”を”経験”することだ。
誰かの”感情”を押し付けるのではなく、私に”経験”をさせてくれるのだ。
”経験”からは”感情”が産まれる。それは周知だろう。

これが小説を読んだ時の心のメカニズムか、と一人合点。

勿論、ここでいう”事実”は何もノンフィクションだけを指しているわけではない。
語弊はあるかもしれないが、事実でない”事実”もある。

”感情”はテキストの中にはなく、コンテキストの中にあったのだ。

最後に、もう一つ引用しておく。
因みに”事実”の私の用法は、この文脈を拡大解釈して使ったのだと思ってくれれば、
理解しやすいのではないだろうか。
とにかく情緒を切り捨てること。
事実と論理だけで文章を組み立てていくこと。
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