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美しい文章や感受性豊かな文章を書けることが、国語力の証のようになっている。ベタベタした、甘ったるい文章が「美文」と思われるようになっている。
でも、言葉にとって大切なのは、見た目の美しさではありません。なによりも先に「正しさ」なのです。
5/31の夜、日付を跨ぐか跨がないか、といった時分に、私は『16歳の教科書』という本を読んだ。
松戸のブックオフで先日買って来たものだ。
タイトルの上部には「ドラゴン桜公式副読本」、
下部には「【編著】7人の特別講義プロジェクト&モーニング編集部」の文字。

ふむ。

簡単に言えばこの本は、7人の講師が、「なぜ学び、何を学ぶのか」をわかりやすく教えてくれる、という内容の本だ。
その7人の講師は、金田一秀穂、鍵本聡、高濱正伸、大西泰斗、竹内薫、藤原和博、石井裕之。
因みに私はそのうちの5人を、読む前から知っていた。
その点で、私にとっては相当に豪華な面子だった。

上の引用は、その本の中の文章で、講師で言うと金田一秀穂の言葉だ。

確かに、小説には情景描写に多くのページが費やされている。
そして素人の書いたものは、印象”のみ”を前面に押し出したものが多い、と私は思い返す。

なぜか。

人々が表現したいことはきっと感情なのだ。事実関係で無く。
感情を言葉にしないで感情を表現するのは難しい。
そのため、甘ったるい文章が世に氾濫するのだろう。

しかし、感情は言葉にしても伝わらない。
「嬉しい」という文字を見て嬉しくはならないし、
「悲しい」という音を聞いても悲しくはならない。
言葉の中に感情はない。

では逆に、”事実”を書くとどうなるだろう。

小説は”事実”を書く。
その”事実”を読むことで、私に”感情”を生じさせる機会を与える。
それはつまり、”事実”を”経験”することだ。
誰かの”感情”を押し付けるのではなく、私に”経験”をさせてくれるのだ。
”経験”からは”感情”が産まれる。それは周知だろう。

これが小説を読んだ時の心のメカニズムか、と一人合点。

勿論、ここでいう”事実”は何もノンフィクションだけを指しているわけではない。
語弊はあるかもしれないが、事実でない”事実”もある。

”感情”はテキストの中にはなく、コンテキストの中にあったのだ。

最後に、もう一つ引用しておく。
因みに”事実”の私の用法は、この文脈を拡大解釈して使ったのだと思ってくれれば、
理解しやすいのではないだろうか。
とにかく情緒を切り捨てること。
事実と論理だけで文章を組み立てていくこと。
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