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何かを学ぼう、身につけようと考えた時、
最近はなんとなく、小さくとも毎日の積み重ねこそが大事だと考えていました。


違うんじゃないか。


少なくとも自分にはその考え方はfitしていないのではないか、となんとなく今日そう思った。

その理由として、

・最大限に何かを学び取ろう、という姿勢と、今日のノルマをこなそうという姿勢では、
同じ時間学ぶとしたらやはり前者の方が効率が良いはず。

そして日々小さな積み重ねでも、という思いがあると、マンネリがちになり、
後者の姿勢になりがちなのはあまり異論はないのではないだろうか。

ではなぜ今まで(というか最近は)後者の方がいいのではないか、と思っていたのかというと、
やはりトータルで見た時の触れる時間の差、これが大きな差になると思っていたという部分が大きい。
更に言うと、自分の中にない、ある考え方や習慣に慣れるのに、
時間をかける事で脳が適応して違和感がなくなっていく部分があるのではないか、という意識も働いていた。
つまり、眠ると脳内が整理される、とか、そういう種類の考え方の延長だ。

しかし、これは対他人を考えた時に、より抜きん出るためには、という意識が前提としてあった。

時間が無限にあるのならそこに使える時間の大小は結局大きな差となって表れてくるだろうが、
時間が限られた中、対誰か、ではなく、対自分の視点で考えた時に、効率により大きな比重を置いたなら、
自然とその時にできる最大限のことをやる、という積み重ねをした方が良いのではないだろうか。
毎日やることが目標になるのではなく、たとえ断続的になったとしても結果を見据えた上でのアプローチ。

その姿勢は受身ではなくより積極的に行動していくものなので、
そういう姿勢を常に取るというのも精神衛生上いいかと。

結局そういう、最大限のことをする、ということをプラスして更に!毎日できる人が、
スポーツや音楽でも大きく活躍しているのではないか。
彼らは、決められたノルマを受動的にこなすことでその地位や実力を手にしていたのでは決してないはずなのだ。



ということを思った。


ということで、一日数学だけ8時間程度3日連続やるものの、
しかし予備校もサボりトータルでは月8日くらいしか勉強せず寝てばかりいた、
あの浪人時代の勉強スタイルに戻す時がきたか・・・!


・・・いや、日数は頑張って増やしてはいくつもりだが何か。




注・これは、「行動を起こすときは、時間的なコストもお金のコストもかかるから、それに対する見返りが想定できないと始められない」という勝間和代著『読書進化論 』の文章を読んだ時に連想して思ったことを書いた。
この本の中身はエッセイ程度の軽いもんで、
著者の本・ネットとの付き合い方やそれによって得られた来歴を述べているような内容。
少しタイトルから受ける印象と違うかもしれない。
具体的な中身にそこまで特筆すべきものは感じないが、多少の刺激とインスピレーション、自分の考えの肯定の強化、程度にはつながるかもしれない。
しかし個人的には、直接的な影響でないにせよ、そもそもこういうもの一つ書けているだけで収穫ではあったのだが。
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