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シャバかぁ・・・


♪ シャバダバダ・シャバダバダ~・・・



タナダユキ監督の『百万円と苦虫女』を、今更ながら劇場で見てきた。
丁度期間限定で安く見れるようになってたので、
そしてLifeでも丁度タナダユキ監督がゲストに来ていて興味を持ったので。
夜に。
女の子と。


乙女かよ・・・






スッゲェ良かった。
やっぱり良い映画はこういう所にある。
すげぇ宣伝費かけてるものよりよっぽどこういう作品に出会いたいし出会うべきだと思った。

今までこの監督の作品は見たことが無く、というかろくに知りもしなかったが、
今やっている『俺たちに明日はないッス』とか、
過去のモルとかタカダワタル的とか初子とか月とチェリーとか、
俄然興味が湧いてきた。
是非見よう。見る。
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Gigazine
より
FilmJunkが匿名の情報筋から得た情報によると、フォックス映画のお偉方が映画「ドラゴンボール」のこれまでに撮影された分のフィルムをチェックした結果、フィルムのお蔵入りを検討しているそうです。
すでに撮影には1億ドル(約110億円)以上の予算が投じられて全三部作の予定となっており、FilmJunkではフォックス映画がこれ以上の損失を抑えるためにお蔵入りを選択することもあるかもしれないとしています。

だそうです。どれだけ酷かったっていうんだwww

恐いものみたさ、というか、どんなものが出来上がるのか興味がない事もなかったので、
お蔵入りになったらある意味残念。

でもほんと酷そうだよなwww
20世紀少年でもかなり酷評なのに、ドラゴンボールの期待の出来なさ加減といったらもう・・・www

見ましたよ~。

大分話題になっていたので、DVD発売前から
『これはある意味全盛期を迎えている永作を見なければ!!』
という思いから首を長くして待っていたのですが、意外と見るのは遅くなってしまいました。

耐え切れずに、というわけではないのですが、このタイトルの巧さもあり原作も前から読みたかったので、
映画を見る前に先に文庫本でこの作品を読んでいました。
その為、この役を松山ケンイチと永作博美がやるのか~、これは楽しみだな~面白くなりそうだな~とある程度頭に絵が出来ていて、そこからくる期待も大きなものでした。

さて。
原作がある作品は色々な形で映像化されています。
非常に原作に忠実なものもあれば、原作のファンからすれば不満もあるでしょうがある程度オリジナルな要素を持つものも数多く。
この作品は、どちらかと言えば後者寄りでした、まあ僕はそう感じました。
色々なところで設定が少しずつ異なっていたりして、まあ言ってしまえば、
『本にインスピレーションを受けて作った作品』のような印象が残りました。

カメラを固定して長廻しで撮った絵は印象に残って、キレイだったし、
全然出来が悪いわけではないのです。
しかし、もう少し、二人を魅力的に描けたような気がしていて。
非常に日常感は出ているけどね、それが少し間延びした印象を与えることも狙いなんだろうけれど。
いや、単純に原作が良かった、っていうだけなんだろうけどさ。
原作は文章量も少なく、簡単に読み終えることが出来たのですが、
いや久しぶりに青春?みたいな?みたいな懐かしい読後感にひたれて、なんか良かったのですよ。

しかし蒼井優の存在感は流石だったな。


こんにちわ。僕です。

噂のポニョポニョしたものを見てきた。

巷ではちょくちょくよくない噂も聞くような、
例えばライムスターの宇多丸氏と映画評論家の町山智浩氏も結構こきおろしていたり、
超映画批評からもあまり芳しいにをいが漂ってこなかったりという状態だったので、
ハードルはあまり高くは設定していなかったのだが、
そのおかげというかなんというか最初の印象は

「あれ?結構面白いんじゃね??」

というものだった。

「これは前二作(ハウルと千と千尋)超えるかも・・・!」

と期待してしまった。



さて、ネタバレするかしないかでこの後の書き方が変わってくるのだが、
とりあえず結論言っとこう。

「整合性なんて、そんなの関係ねぇwwww」

これが今回の作品から感じられた駿マインドwww
と、いうわけで~・・・


前二作と大体同程度の評価でした。

ああ~。やっぱネタバレしちゃいますか。しちゃいますわ。しちゃいますね?
読みたくない人はここでストップお願いします。









いろいろと言いたいことはあるが、大きく違和感があったところ(かつ笑えたところ)。
ポニョのいたずら?だかなんだかで大洪水が起こってしまい、
というかきっとその語感から普通にあなたが想像するような、そういう規模ではなくて、

地球上の都市は全て水没してしまったか?

ああ、もう生き残っている人々はいないのかもしれない…

というような状況下、見た事はないですがまるでディープインパクトのような状況下に置かれてしまった宗介(と隣にいる化け物、通称ポニョ)がギリギリ水没を免れた崖の上の自宅に子どもだけでいるわけですよ。
いつまでもここにはいられない。
そんななか、ある程度海が凪いできて船で家を出た宗介が人と出会った。
ね?もうまだ生きている人がいたんだ!!!ぐらいな感動があってもおかしくないような場面なんですよ。
ミストで言えば・・・っと、言えないけどまあパニック映画レベルの壊滅的状態の中出会う人間。
しかし、

「あら、宗介ちゃん。」
「今日も良い天気ね。」
「大変だったわね~。」


程度の会話で終了なんですチクショ~~~~!!!!!!!!大物すぎる!!!(笑)





しかし~、そこにシビれる!あこがれるゥ!


・・・とまあなんか物語としての脈絡、背骨みたいなものが綺麗に崩壊していて、
考えれば考えるほどその行為の意味の無さに気付き、正直後半疲れました。

絵は素敵です。なごむ。
しかし物語なんかは期待するな!!!

以上。


『崖の上のポニョ』公式サイト
Wikipedia

F速VIP(・ω・)y-~ なぜ「崖の上のポニョ」はコケたのか

早くもノーカントリーのDVDがでるようですね。
以前にもこの映画について書いたのですが、そこでよく分からなかったため本の方に今当たっている、というようなことも書いていたと思います。
読み終えたので、DVD発売に合わせてまた感じたことを書いてみようか、と思いました。

・・・と言っても、実は読み終わってから少し期間があいてしまったのですが。


映画と小説はある点では非常に似通ったもの、
つまりたまに映画化作品で見られるようにストーリー進行などに大きく手を加えているわけではないので、
同じ順番で、同じような事がおきます。
こういう点では非常に似たようなものなのですが、しかし、
小説を読んだときと映画を見たときに感じたハイライトに差があり、
終ったあとの感想や後味も、似た質感を持ちながらも焦点の位置がずれている。
そのために、なんというか、二人の人物の目から同じ物語を追ったような印象が残ります。


なぜ違いが生じたか。
僕が感じた映画と小説との違いは、どれだけ無駄を許容しているか(できるか)、というものでした。
小説版は、そもそもの文体や、人物の話し方の特徴が回りくどく、婉曲的です。
しかしそれがユーモアにも繋がっているし、この小説を個性的なものにしている特徴でもあり、
直接的に説明できないものを説明しようとする一つの策であります。

映画でも、会話は相変わらず同じように皆抽象かつ婉曲的なものなのですが、
比べれば分かるように会話の回数も少なく、一回の会話自体も短い。

やはり映画ならではの特性として見せよう、というところはあるでしょう。
銃撃戦の興奮や、シガーがどんどん迫ってくる恐怖のようなものを、
間の取り方やカメラワークで遥かに小説以上に楽しませてくれたのは、やはり凄いと感じざるをえませんでした。
僕は小説だけを読んであんなにワクワクする情景を頭の中に描けなかったので。


しかし反面、小説の持つ独特の、哲学的な深さのようなものは描ききる事は出来なかった。


確かに何かを語りたいんだろうな、という雰囲気は映画中にビンビンにでています。
しかし、あまりにも説明、言葉による表現が断片すぎて、
全く何がなんだかわからない。
一貫性というかその思考の筋みたいなものがよく見えてこなかったし、
そのために、本当に何かあるんだろうか?こけおどしなのでは?
と疑っても然るべき状態でありました。

しかししかし、更に言えば、何か本当にあるんじゃないか、と思わせるだけのものを撮っているので、
多くの人が何か、何があったのか、考えざるをえない、思わず考えてしまう。
こういう点から見れば非常に秀逸なものではあります。

まあこういう点から見なくても、映画全体としてもとてもいいものだとは思いましたけどね。


単純な情報量とは矛盾するのでしょうし、情報の種類にも左右されるでしょうが、
何かを伝える媒体として、本など書物がもっとも優れているのではないかと僕は常々考えていました。
というか自分に向いているな、と。
本や漫画などを原作とした映象化が原作に比べ失敗に終るのはよく聞くような気がしますが、
そういうこともあり、話題になっている原作物の映画やテレビなどの作品は、
その映像作品を無視してとりあえず原作の小説や漫画に当たることが多いです。
そしてその後映像作品を見て、やっぱり原作の方がいいな、と思うことも多いし、
映像作品を見てから原作を堪能する場合もそういう傾向が、多少少なくなるにせよ多い気がします。

しかし今回は十分小説と渡り合える、下手すると食いかねない力をこの映画は持っていました。

まあつまり、映画も小説もそれぞれ良い所がある、ということが言いたかっただけなんですが・・・
こんなにダラダラと文字数をかける事になってしまいましたねぇ。



閑話休題。

本、映画に共通する部分として、僕は、この作品は「わからない」というのが大きなテーマになっているのではないか、と思いました。
ベル保安官も最近の犯罪はよくわからん、と嘆いているし(ここが小説では繰り返し述べられていた)、
シガーもホントわかんない。
メタ的に見ても、映画自体も何言ってんのかわからん、という部分があるし。
どうしてそこで終えた?って。

やっぱり『わからない』という感覚はあるかなぁ、果たして本当に人が人をわからない、ってどの程度あるのだろうか、とか考えてしまいました。
差異はあって当然なんですが、人間の根本の部分はやっぱりわかるような気もしていて・・・
老人は、考えようとしていないのではなく、最近の若い者のことが『本当に分からない』のかどうか。
実際に接点がないだけなのではないか?空気で伝わるものもあるんじゃないか?と思っていたので、
う~ん、本当にわからないって何だろう・・・となってしまいました。
まあ「わかる」、って何?っていう定義は必要でしょうし、「わかる」程度によっても違うんでしょうが。
僕は国語の読解問題がわりと得意だったので、文章を読んで何を言いたいかというのはなんとなくわかっている気になっていましたが、
読解が苦手な人の感覚は「わからない」に近いのかな?なんて想像してみたり。
う~ん、わからない。
わかるなんて思っていることがそもそもおこがましいでしょうか?


それにしてもコーエン兄弟。
ファーゴも見て見ましたが、「わからない」人間を描くのが巧いですね。
矛盾しているようですが。やっぱわかんねーのかな・・・?

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