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早くもノーカントリーのDVDがでるようですね。
以前にもこの映画について書いたのですが、そこでよく分からなかったため本の方に今当たっている、というようなことも書いていたと思います。
読み終えたので、DVD発売に合わせてまた感じたことを書いてみようか、と思いました。

・・・と言っても、実は読み終わってから少し期間があいてしまったのですが。


映画と小説はある点では非常に似通ったもの、
つまりたまに映画化作品で見られるようにストーリー進行などに大きく手を加えているわけではないので、
同じ順番で、同じような事がおきます。
こういう点では非常に似たようなものなのですが、しかし、
小説を読んだときと映画を見たときに感じたハイライトに差があり、
終ったあとの感想や後味も、似た質感を持ちながらも焦点の位置がずれている。
そのために、なんというか、二人の人物の目から同じ物語を追ったような印象が残ります。


なぜ違いが生じたか。
僕が感じた映画と小説との違いは、どれだけ無駄を許容しているか(できるか)、というものでした。
小説版は、そもそもの文体や、人物の話し方の特徴が回りくどく、婉曲的です。
しかしそれがユーモアにも繋がっているし、この小説を個性的なものにしている特徴でもあり、
直接的に説明できないものを説明しようとする一つの策であります。

映画でも、会話は相変わらず同じように皆抽象かつ婉曲的なものなのですが、
比べれば分かるように会話の回数も少なく、一回の会話自体も短い。

やはり映画ならではの特性として見せよう、というところはあるでしょう。
銃撃戦の興奮や、シガーがどんどん迫ってくる恐怖のようなものを、
間の取り方やカメラワークで遥かに小説以上に楽しませてくれたのは、やはり凄いと感じざるをえませんでした。
僕は小説だけを読んであんなにワクワクする情景を頭の中に描けなかったので。


しかし反面、小説の持つ独特の、哲学的な深さのようなものは描ききる事は出来なかった。


確かに何かを語りたいんだろうな、という雰囲気は映画中にビンビンにでています。
しかし、あまりにも説明、言葉による表現が断片すぎて、
全く何がなんだかわからない。
一貫性というかその思考の筋みたいなものがよく見えてこなかったし、
そのために、本当に何かあるんだろうか?こけおどしなのでは?
と疑っても然るべき状態でありました。

しかししかし、更に言えば、何か本当にあるんじゃないか、と思わせるだけのものを撮っているので、
多くの人が何か、何があったのか、考えざるをえない、思わず考えてしまう。
こういう点から見れば非常に秀逸なものではあります。

まあこういう点から見なくても、映画全体としてもとてもいいものだとは思いましたけどね。


単純な情報量とは矛盾するのでしょうし、情報の種類にも左右されるでしょうが、
何かを伝える媒体として、本など書物がもっとも優れているのではないかと僕は常々考えていました。
というか自分に向いているな、と。
本や漫画などを原作とした映象化が原作に比べ失敗に終るのはよく聞くような気がしますが、
そういうこともあり、話題になっている原作物の映画やテレビなどの作品は、
その映像作品を無視してとりあえず原作の小説や漫画に当たることが多いです。
そしてその後映像作品を見て、やっぱり原作の方がいいな、と思うことも多いし、
映像作品を見てから原作を堪能する場合もそういう傾向が、多少少なくなるにせよ多い気がします。

しかし今回は十分小説と渡り合える、下手すると食いかねない力をこの映画は持っていました。

まあつまり、映画も小説もそれぞれ良い所がある、ということが言いたかっただけなんですが・・・
こんなにダラダラと文字数をかける事になってしまいましたねぇ。



閑話休題。

本、映画に共通する部分として、僕は、この作品は「わからない」というのが大きなテーマになっているのではないか、と思いました。
ベル保安官も最近の犯罪はよくわからん、と嘆いているし(ここが小説では繰り返し述べられていた)、
シガーもホントわかんない。
メタ的に見ても、映画自体も何言ってんのかわからん、という部分があるし。
どうしてそこで終えた?って。

やっぱり『わからない』という感覚はあるかなぁ、果たして本当に人が人をわからない、ってどの程度あるのだろうか、とか考えてしまいました。
差異はあって当然なんですが、人間の根本の部分はやっぱりわかるような気もしていて・・・
老人は、考えようとしていないのではなく、最近の若い者のことが『本当に分からない』のかどうか。
実際に接点がないだけなのではないか?空気で伝わるものもあるんじゃないか?と思っていたので、
う~ん、本当にわからないって何だろう・・・となってしまいました。
まあ「わかる」、って何?っていう定義は必要でしょうし、「わかる」程度によっても違うんでしょうが。
僕は国語の読解問題がわりと得意だったので、文章を読んで何を言いたいかというのはなんとなくわかっている気になっていましたが、
読解が苦手な人の感覚は「わからない」に近いのかな?なんて想像してみたり。
う~ん、わからない。
わかるなんて思っていることがそもそもおこがましいでしょうか?


それにしてもコーエン兄弟。
ファーゴも見て見ましたが、「わからない」人間を描くのが巧いですね。
矛盾しているようですが。やっぱわかんねーのかな・・・?

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