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習慣は人をつくる。

勿論なにかアクションに限ったことではなく、口癖や思考回路もまた習慣。

そして他者からは、人は習慣ではかられる。

人は人を一度のことで判断しようとはしないだろう。本質をみたいと考えたら、繰り返しから見い出そうとする場合が多い。

つまり、人は習慣で、習慣は人。

このままでは鶏が先か卵が先か、式のパラドックスみたいだ。




よく言われている考え方に、こういうものがある。
言葉が思考を形成する。

外に伝えられないものは全部切り捨てられるか、という資本主義に毒された効率第一的、ネガティブなイメージを以前抱いたこともあったが、それは感覚ではあるが考えではなく、思考ではないんじゃないか、と今は考えている。ここで語られる思考は、もっと試行に耐えた、つまり『人がなにかしらを思うこと』よりもっと限定された狭いものなのではないかしら。

何かを意識的に学んでいく過程で、モノにした、という感じを持つ瞬間がある。例えば数学で、ある時から特定の分野なら、どんな応用問題が出てきたって解けるという自信。勿論、例えば高校という井戸の中での万能感、ではあるのだが、自分の中へ自由に取り込み、取り出し、加工できるという或る種の確信。それが僕の中での『モノにした』ということ。


自分の言葉、を常に求めていると、言葉を失う、言葉が見付からない、ということがある。ということに気付いた。今まではそんなものは信じられなかった。僕の言葉が、そこらに転がっている単語や文章のパッチワークにすぎなかったからだ。本当には自らの気持ちを晒そうとはしていなかったからだ。


本当に自らで語る、というのは難しい。

かなり身近だと考えていた言葉、僕の場合母語である日本語が、実はもっと遠いところにあった。昔から言葉に違和感が付きまとってはいたが・・・
気付きというのは些細なことだが大きな事だ。等身大で、ありのままで、見えていないものは、改善しようにもうまくいかないだろう。
洞察は何を学ぶにも欠かせない。


言葉や思考がもし僕のモノになるとしたら。あの感覚がこんなに身近なもので味わえるか、と思うと、僕は楽しみでたまらない。





・・・と昔思い書き貯めていた。断片のつなぎ合わせに過ぎないが、なにかしらの役にも立つかもしれない、と思いUpしておく。

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