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芥川也寸志(芥川龍之介の三男)の『音楽の基礎』が、かっこいい。

どれだけ引用していいか分からないが、というかあんまり長いとダメなんだろうが、
一部除くと格好良さが失われそうなんで、
誰かに怒られるかもしれないがのっけてみる。
ダメなら指摘してもらえると助かる。
 

 音楽が存在するためには、まずある程度の静かな環境を必要とする。たとえば、鐘もしくはそれに類似する音が鳴り響いているなかで、鐘の音を素材とした音楽を演奏してみても、その音は環境に同化してしまうので、音楽としては聞こえない。ちょうど、赤い紙に赤色のクレヨンで絵を描こうとするのと同じである。
 (中略)
 われわれが普通静寂と呼んでいるのは、したがってかすかな音響が存在する音空間を指すわけだが、このような静寂は人の心に安らぎをあたえ、美しさを感じさせる。音楽はまず、このような静寂を美しいと認めることから出発するといえよう。
 作曲家は自分の書いたある旋律が気にいらないとき、ただちにそれを消し去ってしまうだろう。書いた音を消し去るということは、とりも直さずふたたび静寂に戻ることであり、その行為は、もとの静寂のほうがより美しいことを、みずから認めた結果にほかならない。
 音楽は静寂の美に対立し、それへの対立から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある。
 すべての音は、発せられた瞬間から、音の種類によってさまざまな経路をたどりはしても、静寂へと向う性質をもっている。川のせせらぎや、潮騒のような連続性の音であっても、その響きはただちに減衰する音の集団である。音は、終局的に静寂には克つことができない。
 また一つの交響曲を聞くとき、その演奏が完結したときに、はじめて聞き手はこの交響曲の全体像を画くことができる。音楽の鑑賞にとって決定的に重要な時間は、演奏が終った瞬間、つまり最初の静寂が訪れたときである。したがって音楽作品の価値もまた、静寂の手のなかにゆだねられることになる。現代の演奏会が多分にショー化されたからとはいえ、鑑賞者にとって決定的に重要なこの瞬間が、演奏の終了をまたない拍手や歓声などでさえぎられることが多いのは、まことに不幸な習慣といわざるをえない。
 静寂は、この意味において音楽の基礎である。


なんてかっこいい。

勉強になります。

 

 

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