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不勉強ながらついおとといまで、この体をはったギャグを知りませんでした。
反省。
しかしつぼにはまってしまってからがもう大変。
なんとなく思いだし笑い。
歩きながら人ごみで。
完全に変な人でした。
タイトルの「インド人を右に!」というのは『ゲーメスト』という雑誌に実際に掲載された、
『スカッドレース』というゲームの攻略法の有名な誤植で、
正しいのは「ハンドルを右に!」だそうです。
まあ、言われれば似ている・・・?けれども・・・
『ゲーメスト』はもともと誤植の多い雑誌で有名なのだそうですが、
その理由が
「ライターたちの文字が汚かったから」
というwww流石www
さて、では掲載当時の文章をお見せしましょう。
掲載時
「くお〜!! ぶつかる〜!! ここでアクセル全開、インド人を右に!」
インド人を右に、ってwwwぶつかるっちゅうねん!(笑)
この切羽詰った感じからの切り札!!が「インド人を右に!!」なオトボケな感じが、
文のテンションと交わって僕の気持ちを掴んで離さないのでした。
大好きです。
ゲーメスト -wikipedia
インド人を右に -アンサイクロペディア
反省。
しかしつぼにはまってしまってからがもう大変。
なんとなく思いだし笑い。
歩きながら人ごみで。
完全に変な人でした。
タイトルの「インド人を右に!」というのは『ゲーメスト』という雑誌に実際に掲載された、
『スカッドレース』というゲームの攻略法の有名な誤植で、
正しいのは「ハンドルを右に!」だそうです。
まあ、言われれば似ている・・・?けれども・・・
『ゲーメスト』はもともと誤植の多い雑誌で有名なのだそうですが、
その理由が
「ライターたちの文字が汚かったから」
というwww流石www
さて、では掲載当時の文章をお見せしましょう。
掲載時
「くお〜!! ぶつかる〜!! ここでアクセル全開、インド人を右に!」
インド人を右に、ってwwwぶつかるっちゅうねん!(笑)
この切羽詰った感じからの切り札!!が「インド人を右に!!」なオトボケな感じが、
文のテンションと交わって僕の気持ちを掴んで離さないのでした。
大好きです。
ゲーメスト -wikipedia
インド人を右に -アンサイクロペディア
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習慣は人をつくる。
勿論なにかアクションに限ったことではなく、口癖や思考回路もまた習慣。
そして他者からは、人は習慣ではかられる。
人は人を一度のことで判断しようとはしないだろう。本質をみたいと考えたら、繰り返しから見い出そうとする場合が多い。
つまり、人は習慣で、習慣は人。
このままでは鶏が先か卵が先か、式のパラドックスみたいだ。
よく言われている考え方に、こういうものがある。
言葉が思考を形成する。
外に伝えられないものは全部切り捨てられるか、という資本主義に毒された効率第一的、ネガティブなイメージを以前抱いたこともあったが、それは感覚ではあるが考えではなく、思考ではないんじゃないか、と今は考えている。ここで語られる思考は、もっと試行に耐えた、つまり『人がなにかしらを思うこと』よりもっと限定された狭いものなのではないかしら。
何かを意識的に学んでいく過程で、モノにした、という感じを持つ瞬間がある。例えば数学で、ある時から特定の分野なら、どんな応用問題が出てきたって解けるという自信。勿論、例えば高校という井戸の中での万能感、ではあるのだが、自分の中へ自由に取り込み、取り出し、加工できるという或る種の確信。それが僕の中での『モノにした』ということ。
自分の言葉、を常に求めていると、言葉を失う、言葉が見付からない、ということがある。ということに気付いた。今まではそんなものは信じられなかった。僕の言葉が、そこらに転がっている単語や文章のパッチワークにすぎなかったからだ。本当には自らの気持ちを晒そうとはしていなかったからだ。
本当に自らで語る、というのは難しい。
かなり身近だと考えていた言葉、僕の場合母語である日本語が、実はもっと遠いところにあった。昔から言葉に違和感が付きまとってはいたが・・・
気付きというのは些細なことだが大きな事だ。等身大で、ありのままで、見えていないものは、改善しようにもうまくいかないだろう。
洞察は何を学ぶにも欠かせない。
言葉や思考がもし僕のモノになるとしたら。あの感覚がこんなに身近なもので味わえるか、と思うと、僕は楽しみでたまらない。
・・・と昔思い書き貯めていた。断片のつなぎ合わせに過ぎないが、なにかしらの役にも立つかもしれない、と思いUpしておく。
勿論なにかアクションに限ったことではなく、口癖や思考回路もまた習慣。
そして他者からは、人は習慣ではかられる。
人は人を一度のことで判断しようとはしないだろう。本質をみたいと考えたら、繰り返しから見い出そうとする場合が多い。
つまり、人は習慣で、習慣は人。
このままでは鶏が先か卵が先か、式のパラドックスみたいだ。
よく言われている考え方に、こういうものがある。
言葉が思考を形成する。
外に伝えられないものは全部切り捨てられるか、という資本主義に毒された効率第一的、ネガティブなイメージを以前抱いたこともあったが、それは感覚ではあるが考えではなく、思考ではないんじゃないか、と今は考えている。ここで語られる思考は、もっと試行に耐えた、つまり『人がなにかしらを思うこと』よりもっと限定された狭いものなのではないかしら。
何かを意識的に学んでいく過程で、モノにした、という感じを持つ瞬間がある。例えば数学で、ある時から特定の分野なら、どんな応用問題が出てきたって解けるという自信。勿論、例えば高校という井戸の中での万能感、ではあるのだが、自分の中へ自由に取り込み、取り出し、加工できるという或る種の確信。それが僕の中での『モノにした』ということ。
自分の言葉、を常に求めていると、言葉を失う、言葉が見付からない、ということがある。ということに気付いた。今まではそんなものは信じられなかった。僕の言葉が、そこらに転がっている単語や文章のパッチワークにすぎなかったからだ。本当には自らの気持ちを晒そうとはしていなかったからだ。
本当に自らで語る、というのは難しい。
かなり身近だと考えていた言葉、僕の場合母語である日本語が、実はもっと遠いところにあった。昔から言葉に違和感が付きまとってはいたが・・・
気付きというのは些細なことだが大きな事だ。等身大で、ありのままで、見えていないものは、改善しようにもうまくいかないだろう。
洞察は何を学ぶにも欠かせない。
言葉や思考がもし僕のモノになるとしたら。あの感覚がこんなに身近なもので味わえるか、と思うと、僕は楽しみでたまらない。
・・・と昔思い書き貯めていた。断片のつなぎ合わせに過ぎないが、なにかしらの役にも立つかもしれない、と思いUpしておく。
とち狂った鉄板の上に 僕は華を咲かせます
昨日の方向は 扇風機の音がする
蝉が抱いた あの夏と
海に抱かれて 眠くなる
ああ明日は翌檜になりたいと
檜は笑い 死んで逝く
種子をばらいて逝く
暑さも 寒さも
泣き声も 笑い顔も
まだまだ足りなぁな。
昨日の方向は 扇風機の音がする
蝉が抱いた あの夏と
海に抱かれて 眠くなる
ああ明日は翌檜になりたいと
檜は笑い 死んで逝く
種子をばらいて逝く
暑さも 寒さも
泣き声も 笑い顔も
まだまだ足りなぁな。
いやぁめっきりですね。
ずいぶん涼しくなりましたね~。
どんだけ暑かったか忘れてしまうほど涼しくなり(まあ今年はそもそもそれほど暑くはなかった気もしますが)、
秋の到来になんとなく一抹の寂しさを感じてしまう今日この頃です。
いや秋は好きなんですが。どうしてでしょうね、この匂いはどうにももの悲しくさせてくれます。
九月入っても少し暑い日が続き、中ごろに急に涼しくなり、しかもそれがたまたま外出しない日だったりして、
「あれ?いつこんなに涼しくなったんだ?」
と驚くことが毎年多い気がするのですが、今年は珍しく季節の変わり目をなんとなく体感できた気がしました。
・・・でもまだ暑くなったりするのかな?最近のこの天気秋雨前線いるじゃないかと思ってたんだけど。
今年の八月はほぼ毎日夏期講習で指導をしていて、夏休みを感じることが出来なかったのですが、
最近そのピークを終え、九月に入りやっと自由な時間が取れそうな為、
今後のことを冷静に少し考えるようになりました。
・・・なんだかんだインターンのこと何もやってねぇ・・・
・・・うわ~、やばいなぁ、と。
数学もやらないとこれ留年の危機、英語も最近全然勉強していません。
ボクシングは今月は塾が忙しそうだったため行かず、ひと月全くやっていない始末です。
・・・あぁ、俺の夏休みは終ったんだな。
と、残念な感じが漂っましたが、よくよく考えると毎年毎年大して何もしていない気が。
夏休みなんて、小学校以降幻想に過ぎないのだな・・・
と蝉の抜け殻を見て夏の終わりを感じている男が一人。。。

でもまあ、醜くても足掻けるだけ足掻いてみようかと思います。
ずいぶん涼しくなりましたね~。
どんだけ暑かったか忘れてしまうほど涼しくなり(まあ今年はそもそもそれほど暑くはなかった気もしますが)、
秋の到来になんとなく一抹の寂しさを感じてしまう今日この頃です。
いや秋は好きなんですが。どうしてでしょうね、この匂いはどうにももの悲しくさせてくれます。
九月入っても少し暑い日が続き、中ごろに急に涼しくなり、しかもそれがたまたま外出しない日だったりして、
「あれ?いつこんなに涼しくなったんだ?」
と驚くことが毎年多い気がするのですが、今年は珍しく季節の変わり目をなんとなく体感できた気がしました。
・・・でもまだ暑くなったりするのかな?最近のこの天気秋雨前線いるじゃないかと思ってたんだけど。
今年の八月はほぼ毎日夏期講習で指導をしていて、夏休みを感じることが出来なかったのですが、
最近そのピークを終え、九月に入りやっと自由な時間が取れそうな為、
今後のことを冷静に少し考えるようになりました。
・・・なんだかんだインターンのこと何もやってねぇ・・・
・・・うわ~、やばいなぁ、と。
数学もやらないとこれ留年の危機、英語も最近全然勉強していません。
ボクシングは今月は塾が忙しそうだったため行かず、ひと月全くやっていない始末です。
・・・あぁ、俺の夏休みは終ったんだな。
と、残念な感じが漂っましたが、よくよく考えると毎年毎年大して何もしていない気が。
夏休みなんて、小学校以降幻想に過ぎないのだな・・・
と蝉の抜け殻を見て夏の終わりを感じている男が一人。。。
でもまあ、醜くても足掻けるだけ足掻いてみようかと思います。